アタマで考えると抽象的な概念にしかすぎないのに「実物としてある」と思い込んでしまう

ことはよくある。

「悟り」でも「母性」でも、アタマから抽出された概念として、本来は曖昧な性質のものなのに、社会的概念として強化されて固定されると、そこに「カチッとしてある」ものとして捉えてしまう。

「悟り」を得る。

「母性」を得る。

所詮アタマだけで捉えたのものなんて、捉えたつもりのもので大したものではない。むしろ「贋物」であることも多いことは知っておきたい。

生命でも「実物」は時々刻々変化する。今の息は今しなければならない。実物はアタマの先の思いで捉えられるものではない。