思う通りにいかない人生

おおよそ自分のこれまでの人生を見渡して、また、世の中の様々な人の有り様・出来事を見るにつけ、すべて煎じ詰めたところ「どうして私の思うとおりいかないんだ」とぐずっている姿でしかないのだということを、特に最近になってつくづく感じるようになった。

この世の中は「ぐずり合いの広場」とは内山老師の言葉である。

すべて世の中のニュースを見ても、思い通りにやろうとして、その思い通りに行かずにぐずっている状態、暴れている状態、あるいはその結果、だけではないか。

その反対に思い通りに行って浮かれている状態、これもまた結局道理は同じだ。

私たちは常に頭の思い・思惑(思枠)に振り回されて、がんじがらめになって(いることにも気づかず)ただ、自分の思いを満足させること、思い通りにやること、自分が納得して、自分が満足すること、だたそれだけに躍起になっている。

そうして、思い通りに行かなければ、ぐずって周りを振り回して、反対に思い通りに行けばニヤリと笑って悦に入る。

この自分の思い・思惑(思枠)が悩み苦しみの根本要であるということに本当に気づかなければならない。

自分の思いを主人公に行動しているだけでは、生涯にわたって人生の真実からは程遠く、その最期にはどうしたって思い通りに行かない「死」の前に絶望しかない状況に陥ってしまう(思いを働かせるのであれば、そうした方向でなくてはならない)。

思いの先っぽを寝ても覚めても追い回し、思いの果てに思いごと死す。その思いとは何なのか?という方向に思いを働かせてみよう。