内山興正老師の提唱録
自分が自分と思う以前に「私が私が、俺が俺が」という以前に、母体に命として生まれた瞬間にどうしたって片足は棺桶に突っ込んでいるんだ。 人生の本当の価値観に目覚めるためにはその棺桶から見直す必要がある。 つまり生まれる以前に堕ろされていてもおか…
正法眼蔵味読会 出典(音声ダウンロード):内山興正老師「正法眼蔵」提唱録公開 - 十方世界共生山一法寺 YouTube:再生リスト「内山興正 正法眼蔵」 # 巻 年月 齢 場所 書籍 聴 1 八大人覚 1978.1 65 宗仙寺@京都 有 9 原文朗読を省略、提唱日の区切りなし…
「雪峰に参ずるほかは、自余の知識をとぶらわざりけり」 あっちこっちフラフラしないこと。 この人(師家)だと思ったら、その人に付きぬくこと。その人の言っていることが自分の言っていることとぶっ続きになるまで(耳鳴りがするぐらい・耳にタコができる…
youtu.be 人生を考えるとき、そこにはいくつか難所がある。難所とは人生という大河にうずまく「渦(うず)」のようなものだ。 その最も大きな難所(うず)は、 「どうせ最後には死ぬ人生、それなのになぜ生きなければならないのか? しんどい思いをして勉強…
youtu.be 人は成長過程において「自分とは何者か」という自我を形成する上での不安定期があって、それが思春期や青年期においてアイディンティティ(自己同一性)という形で落ち着くことによって、その後の安定的な成長過程が導かれる。 心理学的に規定する…
youtu.be どっちにどうころんでも御いのち いまこの実物こそ御いのち ・人生態度としては「三心:喜心 老心 大心」 ・行動指針としては「二極」 ・無有生死・只管生死としては「一行」 人生を生きるうえでの心の置きどころ、それは「どっちにどうころんでも…
youtu.be【37分辺りから】 悩みのどん底にあるときでも、それは頭の中だけの出来事。 生命の実物は「時々刻々」。思いは「時々刻々」変化する。 悩んでいるといっても、次の瞬間それは過ぎ去っている。 いや事実、悩んでいるといっても、それを掴んで離さな…
youtu.be 【20分辺りまで】 人生はどこまでも深さである。合格か不合格かではない、成功か失敗かではない。 過去にとらわれず、未来をアテにせず、どちらにも引きづられることなく、ただ今刻々と生きていく、そこが心の置きどころだ。 「どうか皆さん、私は…