どっちにどうころんでも御いのち
いまこの実物こそ御いのち
・人生態度としては「三心:喜心 老心 大心」
・行動指針としては「二極」
・無有生死・只管生死としては「一行」
人生を生きるうえでの心の置きどころ、それは「どっちにどうころんでも御いのち(おんいのち)」であるとともに「いまこの実物(なまのいのち)こそ御いのち」というところで、見渡した心を持ちながら今ここにずぼりこむこと。
「どっちにどうころんでも」という見渡しのきく処に立って、見渡した心を持って、はじめて「いまこの実物こそ」というネライを定めた行動もある。
「どっちにどうころんでも」だけだと馬鹿。
「いまこの実物」だけだと(いわゆる夢中・熱中だけの)キチガイ。
「どっちにどうころんでも」(十方仏土中、唯有一乗法)という極とともに、いまこの実物にずぼっと入り込んだ(ずぼりこむ)状態の極(この二極)があってこそ、三心(喜心 老心 大心)が伴った実際的な行動(一行)ができる。
只管(いまこの実物のなまのいのち)には大心(どっちにどうころんでも、という决定した心)が伴わなくてはならない
「ただやる」「ただ生きる」深さ。
【この提唱をまとめた書籍】