内山興正老師の著作物の特性と【人生科読本】

内山老師の著作物は生前にかなりの数が出ている。 

しかし、その多くが柏樹社という既に廃業した出版社から刊行されたものであり、新装版として再刊されたものも一部あるが、ほとんどが絶版状態になってしまっているのは本当に残念なことだ。

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内山興正老師の著作物の特性(種別)

内山老師の著作物について、老師自身が以下のように述べている。

youtu.be

これは「人生科読本」(柏樹社、1980)という自身の書籍をテキストとした講義を行った際の講義録だが(のちに「生存と生命-人生科講義-:柏樹社、1982」という自身による注釈書・姉妹書としてまとめられているが)、このなかで、老師自身の著作物について「論理的な骨組みを構成する本」「それを土台にした活動的な話をする本(実践的な本)」の2つに分けられることを言われている。

ここで発言されている「人生科読本」は「論理的な骨組みを構成する本」に属しているし、こうした本を書く際に内山老師自身が成長する、ということも言われている。

論理的な骨組みを構成する本を土台にした「活動的・実践的な本」あるいは、それらのエッセンスが凝縮した法句詩(ほっくし)と老師が言われるような「詩(偈頌)」にも重要なものが含まれているし、後者のほうが圧倒的に読みやすく理解もされやすいはずだが、内山老師を語る際に重要になるのは、当然のことながら前者に属する書籍である。

これに該当する書籍として、もっとも初期に刊行されているのが「進みと安らい」(柏樹社、1969年)である。これはのちに新装版も出されて、孫弟子筋や永井均といった哲学者が取り上げて深く論じた書籍も刊行されている。

ただし「進みと安らい」は老師自身が希望して生前に絶版にした点を考慮すると、本来もっとも論じられるべきは「人生科読本」およびその講演録(上記You Tube)をまとめた「生存と生命」の2冊ではないかと思っている。

この「人生科読本」以降は、隠居して後に京都の宗仙寺で12年間行った「正法眼蔵」に関する講義をまとめた書籍(いわゆる正法眼蔵味読シリーズ)や最晩年にまとめた法句詩「御いのち抄」(柏樹社、1990)があるが、本当に晩年に至って(60代最後という時期に)いわゆる「論理的な骨組みを構成する本」として体系的にまとめられた書籍は「人生科読本」が最後といって良いのではないかと思う。

このブログでも老師に関する著作を、一つひとつ段階的にまとめていく予定だが、特に「人生科読本」および講義録「生存と生命」についてはしっかりと取り組んでみたいと思っている。

思いをもって思いの限界を知り、人間的な思いを手放した、思い以上の生(なま)の生命(いのち)に帰ること

内山老師が仏教・仏法を語る際は、既成の仏教的概念でもって語ることを良しとせず、そうした缶詰のような既製品を実際に自分で食べてみて、それを自身の体験を通した言葉でもって広くわかりやすく伝えようという一貫した姿勢があった。

つまり、仏教・仏法について始めから権威ぶって「曰く言い難し」で済ましてしまうのではなく、思いでもって思いの限界を知ること、そのための徹底的な思索と究明をもってしてはじめて「曰く言い難し」という「思い以上」のところ(なまの生命)があることを思い自身で知ることの重要性をよく語られている。

この2つの視点を、老師の著作物に当てはめてみると、前者の集大成が「人生科読本」(あるいは最初期の「進みと安らい」)であり、後者のエッセンスが最晩年の法句詩という形を借りた「御いのち抄」といえるのではないか、と感じている。