【人生科読本】と【生存と生命】

内山老師が、その求道の生涯の中、長年の参究と思索によってまとめ上げ、温め抜き、そうして紡ぎ出した、いわゆる「論理的な骨組みを構成する本」に属している最初期の体系的な書籍は【進みと安らい】である。

しかしながら【進みと安らい】は生前老師自らの判断で絶版された点を考慮し、また十分尊重するのであれば、その晩年に至って著した【人生科読本】こそ「論理的な骨組みを構成する本」として最も重視しなければならないと思う。

もう1冊【生存と生命】は、その副題にあるように”人生科講義”であり【人生科読本】というテキストを元にした講義録であるため、ここでは2冊同時にまとめたいと思っているが、この【生存と生命】の初めの文章にも【人生科読本】について、

人生について悩み始めて以来50年の、私の総結論を書き残して、同じように人生について悩みをもつ、これからの若い人たちに贈りたいと思ったものでした。

と述べられている点からも【人生科読本】こそ、内山老師の考え、参究と思索の総結論について、もっとも体系的かつ総合的にまとめた書籍であることは間違いないだろう。

なお、【進みと安らい】は老師57歳の著作、【人生科読本】は68歳の著作である。この2冊の間には、おおよそ10年の開きがある。

【人生科読本】と【生存と生命】その骨子

この本の骨子について一言でまとめてしまえば、人生の真実のあり方(思っても思わなくても、信じても信じなくても、疑っても拒絶しても、そうであるという絶対事実)は「生命」「心識」「自己」の3つの要因によって展開されており、この絶対事実に基づいた視点において、大半の人が陥りがちな死を切り捨てた生存競争のみを絶対価値とした「(アタマの思いだけで)宙に浮いた人生」ではなく、生命本来の実物地盤において、天地いっぱい自己ぎりの自己として(自己関係した生命の源において)深まっていく、澄み清くなる方向・価値をもった生き方を実践すること(自受用三昧)について書かれている。

こう言っても「なんのことやら、さっぱりわからない」という人がほとんどだろう。事実、普通に読んでも本当に理解するのは難しい点が多い。要するに生まれてこのかた目隠しして見当違いの方向に走り続けいた自分の目隠しを外して足元(生命の根本地盤)を見直すことなのだから(実際はあたりまえの事に気づくだけなのだが)コペルニクスとも言える内容で、だからこそ「人生科読本」というタイトルで人生いかに生きるか、その処世・世渡りの話でなく、それを包括した「なぜ生きるのか」といった話が書かれえているのだし、その講演録も対比として「生存と生命」というタイトルになっているのだ。

これについては、もう少し私なりに噛み砕いてまとめたいと思っている。