内山興正老師とは

内山興正とはどのような人だったか。

残念ながら、私は生前の老師に会ったことはない。しかし縁があり、その著作や講演録に触れることで、とても惹かれるものがあり、今では生涯の師として仰いでいる(ただし老師本人は、あくまで正師とは坐禅であり法であるとして、弟子たちにも伝えていたようなので、その点でファンクラブ的な捉え方はしないように意識したい)。 

そのプロフィールや人物像について、私なりにまとめておきたくなったので、ここに記していくことにする。 

この記事では、簡単な素描に留める。

写真で見る内山老師

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出典:https://buddhismnow.com/2011/10/18/final-lesson-by-arthur-braverman/

この写真は、海外のWEBサイトから借用したものだが、カラー写真であることが珍しく、おそらく老師が60歳ごろで、現役で安泰寺堂頭をしていた頃に近く、普段着だった白の衣を着ていて、老師の実像に一番近い(と思われる)。

内山興正老師の略歴

1912年(明治45年)7月15日生誕
1998年(平成10年)3月13日示寂(満85歳)

最後の禅僧といわれた沢木興道老師の弟子・法嗣であり、かつて京都にあった安泰寺(現在は兵庫県の久斗山という山奥にある曹洞宗の修行寺)で沢木老師の遷化後に堂長をされていた曹洞宗の僧である。

著作に関する素描

曹洞宗の僧侶であるが、既成の仏教や宗派にとらわれない思索や活動を行った人であり、むしろそうした既成の枠組みをなんとか取っ払って、誰でもわかりよい言葉にして伝えようと(老師の言葉で言えば「一鍬でも掘り下げたい」)と日々努めてきた方である。

もちろんそれは、仏祖・祖師方から綿々と受け継がれてきた「仏法」の教えの本当のところを、確かな形で届けたい(老師いわく仏教の教えや経典が「ただの缶詰」の保管や受け渡しで終わっている状態から「缶詰の中身を実際に自分で食べて、味わって、それを他の人に勧めるような具合で伝えたい」)という思いによるものである。

なので、その著述も既成の仏教的な言葉で済ませるのではなく、なるべく使わないで如何にその本質を伝えられるか、苦心されてきた形跡とも言える。

それは、内山老師の性格や経歴とも深く関係しているといえるのだが、そのあたりの形式的な紹介は以下のウィキペディアを参照されたい。

内山興正 - Wikipedia

ともかくそうして苦心されてまとめらた言葉の数々は、いま巷でいかにも「コレを読めばあなたの抱えている苦しみや悲しみから解放される」ということを扇動的なタイトルや書影にしてまとめた書籍よりも、ずっと本質的に「心の救い」となる深い言葉に溢れている。

本質的にというのは、安易で表面的でいかにも大衆受けするような、耳障りの良い言葉を切り売りしていない、考え抜かれ、実際に修行を通して体現された老師の体を通して紡ぎ出した「真実」に基づいた言葉で書かれている、ということだ。