今あるものを大事に使う

いわゆる八大人学にいう「少欲」「知足」。

 

仏教では「無欲」などという非現実的なことは教えない。

それはそうだ。食欲や睡眠欲がないのは辛い、性欲がない世界もつまらないだろう。たいていの芸術文化はこの性欲(色気)をベースにしているのだから。

 

仏教では「少欲」「知足」。

あくまで、足ることを知る、ああしたいこうしたいと常に湧いて出てくる「もの足りようの思い」つまり煩悩を最低限のところで満足しておく、ということを教える。

 

換言すれば「今あるものを大事に使う」ということ。

押し広げて言えば「今の命を命の限り大事に生きる」ということ。

 

あれこれ欲しいものがあれば、収入の範囲内に留めておく。

ところが、収入は少なくても生活のレベルは上げていきたいというような、てめえの収入の範囲(輪っか)から欲望の輪っかを逸脱させて、あれほしいこれほしいと動いているガキのような大人が多すぎやしないか?

 

これと同じように、命の火が弱ってきているのであれば、その弱った火のままにその命を大事にただ生きればいい。

オレは若いヤツには負けないとか、年齢にも病気にも打ち克ってとか、気焔を上げて生きなくたっていいんだ。

 

すべてのものは尽き果てていく。

私は今授かっているものを大事にして生きていきたい。