「なんで私が」といってみんな死んでいく

「私だけは大丈夫」という蓋
「死ぬことを忌み嫌う」蓋
その覆っている蓋が「無明の闇」を生み出しているのだ

その蓋が開く時
その蓋を開いて入っていかなければならない時
それは100%確実にやってくる
そのとき「なんで私が」となる

人生は「生まれて生きて、そして死んでいく」
理性ではわかる、しかし「死」は概念や観念の域を出ない
だから「死」いつも他人事、自分の死はいつも焦点がボケている

こう書いている私も、ご多分に漏れず「なんで私が」と思うだろう
ただ、死の蓋はいつでもオープンにしているつもりだ