人間関係の捉え方

ここでは円の理論に基づいて、人間関係に深く悩まないための捉え方についてまとめた。円の理論の核心とは関係しないが、こうした考え方にも応用できるという一例。

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人間関係に悩んだら「円」と「円」を切り離すイメージを持とう

たいてい、人間関係に悩んでいるときは、アタマの中で「私」と「他者」の円を重ねた状態で考えている。

【円と円が重なり合う、あるいはぶつかり合う図】

 

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こうした相互に干渉し合う対立構造ではなく、明確に「私の円」と「他者の円」をスッパリ切り離した構図で捉えることが大事になる。

【円と円がそれぞれ独立して、完全に離れて交わらない状態の図】

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そして、何があっても(たとえ相手がどうあろうと)、こちら側ではこの円を切り離したイメージのまま、相手(他者・そのグループ)に対する「思い・考え・感情に基づく価値判断」を一切行わないこと。いろいろ考えたり思ってたり感じたりしても、それは自分の円の中(アタマの中)出来事にしか過ぎないと正しい目をもって見ること。湧いてきて仕方がない「思い、考え・感情」はアタマ中の一時的な(かつ一方的な)分泌物でしかないと知ること。

つまり「自分の円を、相手側の円に重ねないこと、被せないこと、少しも近づけずむしろ遠ざかって見渡している姿勢」が非常に重要になる。

「わたし」と「あなた(私以外)」を完全に切り離す

自分も他者も、それぞれ個人個人の価値観に基づいた考え方・感じ方で生きている。アタマの構造がそもそも異なるうえに、その場の気分(体の調子やお天気の具合、家族を含む近親者の状態などその人を取り巻く環境)なども異なる。

個々の自我・人格が形成する領域(仏教的に言えば業識)を「円」として捉える場合、その円は「一つの惑星あるいは銀河系」として捉えるぐらいの視点があってよい。

この点で、A惑星あるいはAという銀河系を、それと全く異なるBやCに合わせようとした場合、壮大な対立・衝突・炎上・爆発が繰り広げられてしまう。これを避けるには、お互いの惑星お互いの銀河系として、双方の見方・考え方・価値観を尊重して「明確に分けて、距離を保つ」必要がある。

AさんにとってBさんは別惑星の宇宙人、BさんにとってもAさんは別惑星の宇宙人。お互いに「未知との遭遇」をしているぐらいの感覚で捉えることが大事だ。

たとえば、Aさんが「Bさんは、どうしてこういうものの言い方をしてくるのだろう」または「こういう態度で接してくるのだろう、こういう反応を示すのだろう」などと感じ、自己反省したり改善を試みるなどして決して思い悩まないようにしたい。

それは「全く別の惑星に住むBさんという自我・人格が形成する円の描く領域の出来事」に対するリアクションであり、根本的にはAさんにはどうしようもならないからだ。この点をしっかり切り離したうえで、もし改善できることがあればやればいい。だけど、その結果の良し悪しで思い悩むのは滑稽だ。

こちらが良いと思って気配りしたことでも、こちらの思惑に反してあるいは全く相手側に反対の意味に取られたりすることもあるだろう。それについては「こちらも勝手、あちらも勝手」当然起こりうることなのだと、それぞれの「円」を切り離した考えで正しく捉えれば、気分的に落ち込んだりしても全く思い悩むことではないのだ。

お互いの「ものの見方・価値観・感じ方・考え方」が異なれば、それに基づいてその人にとっての「常識・正義・平和・安定」といった絶対価値も異なって存在するのであり(この点で絶対価値とは言えないが)、戦争もAという国とBという国が互いの「常識・正義・平和・安定」を物差しに志向して相争うのであるから、たとえば、その典型材料といえるエルサレムを主戦場とした紀元前からの争いも「我が国の正義・我が国の平和と安定」を主張して永久に終わることはないだろう。

こうした一見矛盾した構図も、円と円でスパッと切り離すことで正しい見かたができると思う。

常に、この構図を忘れずに、むやみな怒りや悲しみは避けたいものだ。また、人との接する際には「私が持っている物差し(常識・感じ方・考え方)が絶対でない」ことも常に顧みて反省して懺悔する態度がとても大切に成ると思う。

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