思い固められた私

朝、目覚めた瞬間から、その日やらなねばらない仕事内容を頭で算段している。

「まず、あれを片付けて、その次にあれをやって」

「ああ、あの人からまだ返事がない、あの人にあれを頼まなければ、面倒くさいな」

などなど、次から次へと湧いて出てくる。

 

ほとんどの人は、朝から晩まで、こうした頭の思いに掴まれて、それに従って(見かたによっては振り回されて)生きているのではないだろうか?

寝ているときでも夢を見ている場合は、厳密に言えば頭の思いに従っている状態と言えなくもない。

 

それどころではなく、それに従って生きている「思いに固められた私」だけが「現実の私そのもの」だと思い込んでいる人がどれだけ多いことか。

 

坐禅をしていると「思いに固められた私」に気がつくことができる。

 

思いが渦のように巻き起こって、気づかないうちにそれに何度も飲み込まれていく自分がいて、飲み込まれて気づいて、その思いをパッと手放して、また気づいてということの繰り返しを坐禅中している。

 

坐禅でない限り、こうした想いの連鎖の渦に飲まれた自分「思いに固められた私」のまま、あれでもないこれでもないとグズり続けたあげく、棺桶に足を突っ込むところまで行ってしまう気がする。